粟嶋神社
(あわしまじんじゃ)
御祭神の少彦名命(すくなひこなのみこと)は、神代の昔、大己貴命(おおなむち:大国主命)とともにこの国を開き、人々に医療の方法を教え、まじないの術を授け、万病によりお救いになった神であり、その尊い御神徳は古事記や日本書紀に記されているとおりです。のちに、常世の国に御渡りになったその最後の地がこの粟嶋です。
神社の創建年代は不明ですが、古代より神々の宿る山(神奈備山)としての信仰があり、神功皇后(じんぐうこうごう)・後醍醐天皇御祈願の伝承、戦国時代の尼子氏の寄進、江戸時代米子城主代々の崇敬なども記録に残る、長い伝承と歴史をもった神社です。
延命長寿の守り神「八百姫(やおひめ)」
山麓の西側、粟嶋が島だった時にできたほら穴があり、このほら穴には伝説が残されています。
昔、このあたりの漁師の集まりで珍しい料理が出たが気味悪がって誰も食べず、ある一人の漁師が家に持ち帰ったのを、その家の18才の娘が何も知らずに食べてしまいました。その食べ物とは、いつまで経っても寿命が尽きないといわれる人魚の肉だったのです。
それからというもの、その娘は何年経っても姿は18才のままで、とうとう世を儚んだその娘は尼さんになってほら穴に入り、物を食べないで寿命が尽きるのを待ちました。ようやく寿命がつきた歳が八百才だったので、八百比丘さん(はっぴゃくびくさん:八百姫)と呼んで、延命長寿の守り神としてお祀りしたといわれています。
難病苦難の守り神「お岩さん」
境内から右にまがったところに、小さな岩を御神体として祀っているのがお岩さんです。ここは、粟嶋神社の御祭神・少彦名命が粟嶋に舟で到着され、最初に上陸された場所であり、極めて霊験あらたかな聖地として祀られています。
この岩は、大国主命と少彦名命が出会った岩ともいわれています。
粟嶋神社は、因幡伯耆國開運神社(干支所縁十二神社)の一つです。
干支にちなんだ十二の神社、縁起のよい字を冠した八つの神社をそれぞれ訪ね、参拝と祈願をすませたら、置いてあるスタンプを開運グッズの「旅印手帖」「トートバッグ」「手ぬぐい」に押して巡りましょう。
粟嶋神社
- 住所
- 鳥取県米子市彦名町1404(社務所)
- お問い合わせ
- 米子市観光協会
TEL 0859-37-2311