上淀廃寺跡

(かみよどはいじあと)

上淀廃寺上淀廃寺が創建されたのは「癸未年」という文字を刻んだ瓦が出土したことから、白鳳時代(683年頃)と考えられています。
伽藍配置は、西に金堂、東に南北三塔を配し、他に例のないものです。このように三塔を建立する例は、奈良時代以前の国内には例がなく、南北に並ぶ例は朝鮮半島にもありません。中心となる金堂・中塔・南塔の基壇は二重に作られ、瓦積の周囲には石列が築かれています。このような方法は、三国時代に見られ、寺の建設に百済の影響を受けていることがわかります。

また金堂周辺を中心に、寺院壁画片が5,000点以上出土し、壁画片には彩色が施された「菩薩」や「天衣」、「神将」「遠景樹木」などが描かれいます。国内で白鳳期の寺院壁画は唯一、法隆寺金堂壁画(火災で焼失し現存はない)が知られているのみで、考古学、美術学において、極めて重要な発見となっています。

上淀白鳳の丘展示館米子市淀江歴史民俗資料館を改修・増築して整備された「上淀白鳳の里展示館」が、上淀廃寺跡のガイダンス施設として、2011年4月に開館しました。古代の山陰の歴史を紐解く出土品が所狭しと並べられています。また全国初、古代寺院の内部を原寸大で再現した金堂は見ものです。

上淀廃寺跡

住所
鳥取県米子市淀江町福岡
お問い合わせ
米子市文化課
TEL 0859-23-5436
アクセス
JR米子駅より車で25分、JR淀江駅より車で5分
山陰自動車道「淀江IC」または「大山IC」より車で5分
米子鬼太郎空港より車で45分
ホームページ
上淀廃寺跡(米子市ホームページ)
http://www.city.yonago.lg.jp/5612.htm